God gave me many blessings through this mission trip to Sendai and Ishinomaki between 6/13 and 6/15.
6月13日-15日の間、機会が与えられて仙台、石巻地区に、Mission Tripに参加することが出来ました。短い期間、限られた場所でしたけれど、神様からたくさんの祝福をいただきました。これらの経験を言葉で十分に表すのは難しいですが、少しでも分かち合えることを感謝します。
Wakabayashi section of Sendai City still had some ruined cars and ships dispersed
upon the pond of black mud, perhaps where there used to be a rice field, while much of the rubble had been removed already. It was encouraging to see an old man who was making preparations for the Tanabata festival coming up in August, just as every other year, showing life goes on.
ベースのある仙台市に着いて、若林地区がどんな状態か案内をして頂きました。がれきはかなり撤去されていましたが、本当は稲田であったであろう所が、黒っぽいヘドロ混じりの池のようになっていました。所々に車や船がまだ残っていました。まだまだ復旧は終わっていないですが、朝近所を散歩していたら、8月に行われる仙台の七夕祭りのため、ぼんぼりを作っていたお年寄りに会いました。復旧と同時に復興をしていく為に頑張っている様子を見せていただいた気がして嬉しかったです。
6月13日-15日の間、機会が与えられて仙台、石巻地区に、Mission Tripに参加することが出来ました。短い期間、限られた場所でしたけれど、神様からたくさんの祝福をいただきました。これらの経験を言葉で十分に表すのは難しいですが、少しでも分かち合えることを感謝します。
Wakabayashi section of Sendai City still had some ruined cars and ships dispersed
upon the pond of black mud, perhaps where there used to be a rice field, while much of the rubble had been removed already. It was encouraging to see an old man who was making preparations for the Tanabata festival coming up in August, just as every other year, showing life goes on.
ベースのある仙台市に着いて、若林地区がどんな状態か案内をして頂きました。がれきはかなり撤去されていましたが、本当は稲田であったであろう所が、黒っぽいヘドロ混じりの池のようになっていました。所々に車や船がまだ残っていました。まだまだ復旧は終わっていないですが、朝近所を散歩していたら、8月に行われる仙台の七夕祭りのため、ぼんぼりを作っていたお年寄りに会いました。復旧と同時に復興をしていく為に頑張っている様子を見せていただいた気がして嬉しかったです。
仙台 七夕祭り飾り準備
石巻市、渡波地区
The 2nd day started with removing the polluted mud out of a drain line of a house in Ishinomaki, which took six of us four hours, then we moved on to the Watanoha section of the city. Much of the debris still remains in this section of the city, and some dead bodies are expected to be found in the cleaning effort in the days ahead.
二日目は、石巻のあるお宅の側溝に積もって流れを詰まらせている汚泥をかき出す仕事をしました。大人が6人かかっても4時間以上かかる作業でしたから、全体の清掃の仕事がなかなか進まない事がわかりました。次に石巻の渡波(Watanoha)地区に入っていきました。ここに来ると様子は一転します。この地域は一番捜査が遅れている所らしく、海に近い一帯はまだ何も手を付けられていない状態で、ようやく車の通れる道が開かれたのみです。これからがれきの跡から行方不明者が出てくるだろうと言われているとの事です。-実は翌日、自衛隊が入り、行方不明者の捜索をしました。
We went back to the Watanoha section on the 3rd day to deliver some grocery items to a household, who recently came back from a shelter. We are glad to be able to give some t-shirts to the kids who had been feeling terrible every time other kids had asked why they were wearing the "same shirt".
三日目も同じく渡波地区に行き、朝はあるお宅に生活必需品や食品を届けました。この家族は最初近くの避難所にいましたが、そこから帰宅し、今は自宅に住んでいます。お姉さん(妹さん?)の家族が避難所にいるので、一緒に住むように招いたのですが、彼女の子供たちは、当時、満潮の時に海水が家の玄関まで入って来ていたので、水が怖くて嫌がったとの事です。また、状況をわかっていないクラスの子供たちから、「どうして、毎日同じ服を着ているの?」とか「帰るおうちが無いんでしょ?」と言われたと聞かされた親は本当につらい、と涙ぐんでいらっしゃいました。昨日、届けられた子供のTシャツで、少しでも元気になってくれる事を願うとともに、心のケアの必要を示されます。
We went back to the Watanoha section on the 3rd day to deliver some grocery items to a household, who recently came back from a shelter. We are glad to be able to give some t-shirts to the kids who had been feeling terrible every time other kids had asked why they were wearing the "same shirt".
三日目も同じく渡波地区に行き、朝はあるお宅に生活必需品や食品を届けました。この家族は最初近くの避難所にいましたが、そこから帰宅し、今は自宅に住んでいます。お姉さん(妹さん?)の家族が避難所にいるので、一緒に住むように招いたのですが、彼女の子供たちは、当時、満潮の時に海水が家の玄関まで入って来ていたので、水が怖くて嫌がったとの事です。また、状況をわかっていないクラスの子供たちから、「どうして、毎日同じ服を着ているの?」とか「帰るおうちが無いんでしょ?」と言われたと聞かされた親は本当につらい、と涙ぐんでいらっしゃいました。昨日、届けられた子供のTシャツで、少しでも元気になってくれる事を願うとともに、心のケアの必要を示されます。
Makoto, a volunteer manager of the shelter, as he was giving a guided tour of the place, opened up and shared his worst experience through the 3/11 disaster, that is to see a child being taken away by the tsunami right in front of the parent. "It's not fair that a guy like me would survive and many good people and innocent kids would have their lives taken away.", he continued, "If there is a god, maybe he has some purpose in me." We pray that he will discover there is and who He is.
以前からチームの皆さんがコンタクトを取っておられた、市の臨時職員で避難所のリーダーをしているマコトさんが、避難所の中を案内しながら、自分の体験や気持ちを分かち合ってくださいました。彼が一番辛かった事は、親の目の前で、子供が津波にさらわれていくのを見ながら助ける事のできなかった親の悲しみを見る事。彼はさらに続けて、「自分のようにいい加減な人生を生きてきたものが助かって、将来のある子供たちや、もっと素晴らしい人が死んでしまった。何故かわからないし、罪責感さえ感じる。でも、神様がいるとするなら、神様はきっと私の人生に何か目的があるのでしょう。」と語った。彼がそれを見出すように、心から祈ります。
This shelter had as many as 1,500 people at one point, but the number now is down to 230. The problem is far from over, however. People who are feeling hopeless try to find answers in wrong places, and some go to alcohol and others commit suicide. Let us pray that at least the survivors will find the meaning of life and purpose assigned by the living God, and however little it may be, let us do something to help.
最初の頃、最高時1,500人程いたこの避難所の方たちは、今230人位になり、少しずつ落ち着いてきたとの事です。しかし、それと同時に、生活に差が出てきて、人々が焦ったりして、いろいろな問題が生じてくるとのことでした。せっかく助かった命なのに将来に希望がもてず自殺する人たち、アルコール中毒になる方たちも多くなっているとの事でした。生かされた人々が、神様から与えられている人生の意味、目的を知ることが出来、命を大切にして生きるようにと祈ると同時に、そのために少しでも協力して行きたい思いを持って帰途につきました。
Sekiko Otake
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